本を読み、考える。

研究者の講座と問いかけで、一冊の本と向き合うオンライン講座。

これから読む書籍

大衆の反逆
LIVE
社会学哲学

大衆の反逆

〈100年前の予言書〉――スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの主著『大衆の反逆』に、あえてキャッチフレーズをつけるとするならば、このような言葉がふさわしいでしょう。1930年に出版されたこの本は、ファシズムや全体主義がヨーロッパを覆いつつあったおよそ1世紀前に書かれたものですが、そこに生々しく描き出されている「大衆」のイメージは、驚くほど私たち21世紀の現代人に似た姿をしています。


SNSを開いてみれば、一方では、自分と意見の異なる者を徹底的に糾弾する「炎上」が日常化し、他方では、インフルエンサーや”識者”の言葉を無批判に鵜呑みにしてしまう「信者」たちで溢れています。政治の世界を見渡しても、扇情的な言葉やパフォーマンスで人々の分断を煽る極右ポピュリズムが世界規模で台頭しており、理性的な対話を行うための言論空間はもはや失われつつあるように見えます。誰もが自由に発言でき、権利を謳歌できる豊かな社会になった一方で、私たちは自分と異なる意見に耳を塞ぎ、自らの言い分ばかりを主張する《甘やかされた子供》になってはいないでしょうか?――この本が痛烈な筆致で突きつけるのは、こうした自己批判の契機でもあります。


オルテガの言う「大衆」とは、特定の階級や労働者集団を指すものではありません。問題とされるのは精神の姿勢です。すなわち、「みんなと同じ」であることに悩むどころか安心し、自分が凡庸であることを知りながら、しかし凡庸であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとする精神性の持ち主こそが、「大衆」なのです。そしてこうした人々が、いまや世界中を支配しつつある⋯⋯というのが、20世紀のヨーロッパの行く末を危惧するオルテガの時代診断なのでした。


本講座では、この100年前の文明批判を、一種の〈予言書〉として、現代社会の状況に照らし合わせながら読み解いていきます。本書はもともと新聞の連載記事(エッセイ)として書かれたものであるため、一般読者に向けた比較的平易で読みやすい文体で書かれています。だからといって”簡単”というわけでもないのですが、オルテガは難解な専門用語をほとんど使いませんし、時代背景や問題意識も見えやすい本なので、「古典」と呼ばれる本に取っ付きにくさを感じている方でも比較的読み進めやすい本だと思います。したがって、本講座に参加するにあたって哲学や社会学の専門知識は不要です。本書を通じて、現代社会に生きる私たちがもつ”大衆性”を見つめ直すとともに、これからの社会が向かうべき先を考えるためのヒントを一緒に探しましょう。


テキストとしては、『大衆の反逆』(佐々木孝訳、岩波文庫)をご用意ください。本書には翻訳が多数存在しますが、今回の講座では、最も新しい邦訳である岩波版を参照します。既に別の出版社の邦訳書をお持ちの方はそれを参照していただいても構いませんが、講座内で取り上げる訳文・訳語やページ数とズレが生じることはご了承ください。


初回は7月8日(水)で、以降毎週水曜日の20:00-21:30に開講します(全5回)。


ご参加お待ちしております!

嶺岸匠嶺岸匠
26 | 07/08 - 08/05 20:00-21:30
他にもこれらの書籍を読みます
脱学校の社会

LIVE
教育哲学
26 | 09/04 - 10/02 20:00-21:30

脱学校の社会

学校は、本当になくてはならない制度なのでしょうか。学校が増え、誰もがより長く学校に通うようになれば、社会はよりよくなり、人はよりよく学べるようになるのでしょうか。本講義では、この問いに取り組むために、オーストリア出身の思想家イヴァン・イリッチ(Ivan Illich, 1926-2002)の代表的な著作として知られる、『脱学校の社会』を紐解きます。イリッチは、カトリックの司祭としての活動を経て、産業社会がつくりだす諸制度への根本的な批判を展開しました。学校を論じた本書のほかにも、交通やエネルギーを論じた『コンヴィヴィアリティのための道具』、医療を論じた『脱病院化社会』、労働を論じた『シャドウ・ワーク』など、その批判の射程は現代社会の諸制度のほぼ全域に及んでいます。



『脱学校の社会』は1971年に公刊された、イリッチの名を世界に知らしめた代表作であり、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』と並んで、20世紀に著されたラディカルな教育思想の古典として広く知られています。エヴェレット・ライマーやポール・グッドマン、ジョン・ホルトらの同時代の学校批判とともに「脱学校論」と総称される潮流を代表する一冊であり、こんにちに至るまで、学校制度の存在理由や義務教育の正当性をめぐる教育哲学的な議論の重要な参照点となり続けています。


イリッチによれば、学校化(schooling)された社会に生きる私たちは、教えられることと学ぶこと、進級することと教育を受けること、免状を得ることと能力を身につけることとを混同するように仕向けられています。こうした診断のうえでイリッチが要求するのは、学校の改善でも改革でもなく、国家と教会の分離(政教分離)になぞらえられた、「学校制度の廃止(disestablishment)」です。義務教育制度の存在をほとんど自明の前提としてきた私たちの常識に、本書ほど根本的な仕方で揺さぶりをかける本はないといってよいでしょう。


もっとも、本書の射程は、狭い意味での教育論にとどまりません。イリッチにとって学校は、医療や交通、福祉といった現代のサービス制度の全般を貫く「価値の制度化」という現象の、最も純粋なパラダイムでした。その意味で本書は、イリッチの制度批判の全体への最良の入口でもあります。また、本書で示される「学習のためのネットワーク」の構想は、インターネット時代の学習環境を半世紀前に先取りしたものとしてしばしば言及されてきました。不登校の増加やホームスクーリング、EdTechや生涯学習といった現代の話題を考えるうえでも、本書は多くの手がかりを与えてくれます。


ただし、公刊からおよそ半世紀を経た本書の議論には、時代状況に規定された部分や、あえて挑発的なトーンで記された部分も少なくありません(実際、イリッチは後年みずから、本書で行ったラディカルな提案の一部を修正しています)。けれども、本書の価値は、個々の提案の当否には尽きるものではありません。学校とはそもそも何のための制度なのか、学ぶとはいかなる営みなのか――イリッチとともに、そしてときにイリッチに逆らいながら、こうした原理的な問いを考えてみることがこの講義の目的です。




※講義では、イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』(東洋・小澤周三訳、東京創元社、1977年)を使用します。こちらの邦訳をお手元にご用意いただくことをおすすめします。なお、原書はIvan Illich, Deschooling Society(Harper & Row, 1971年)です。講師は必要に応じて原書を参考にすることがありますが、参加者の方々にはご用意の必要はありません。また、講義計画の都合上、第2章および第5章については、詳細には扱わない予定です。なお、講義の進行状況等に応じて、講義計画には変更の可能性があります。

柳田和哉柳田和哉 (大阪大学)
¥7,500
プラグマティズム

ON-DEMAND
24 | 01/29

プラグマティズム

この講義では、ウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)の『プラグマティズム』を読んでいきます。ジェイムズは、19世紀後半から20世紀初頭に活躍した米国の哲学者、心理学者で、『プラグマティズム』は彼の主著のひとつに数えられます。

彼が生きた時代の米国は大きな変化のなかにありました。たとえば、西部開拓の進展や北部と南部の対立の深まり、それによって引き起こされた南北戦争、その後の飛躍的な経済成長(「金ぴか時代」)、産業化と都市化の急加速などです。さらに、小規模のカレッジに代わって近代的な大学(university)が勃興し、専門学会や学術雑誌が登場するなど、現代の学問・研究のあり方に通じるような変化が生じていました。

のちに「プラグマティズム」と呼ばれることになる思想運動は、こうした状況のなかで生まれました。ジェイムズはその生みの親の一人であり、彼の活躍もあってプラグマティズムは世界的に認知されるようになりました。

現代でも、プラグマティズムはC・ミサックやR・ブランダムといった哲学者によって牽引され、大きな潮流となっています。また、人文・社会科学全体でも再び脚光を浴びており、たとえば政治哲学においては、近代政治思想の人間観を乗り越え、民主主義のバージョンア ップを図るものとして注目されています。

この講義では、そんなプラグマティズムの源流に立ち返り、ジェイムズの『プラグマティズム』を読み解いていきたいと思います。その際、主に以下の二点に注目していきます。

1.プラグマティズムとは結局のところどのような立場なのか。

2.プラグマティズムは宗教とどのような関係を持つのか。

1について。プラグマティズムについてはこれまで多くの人が論じてきました。また、哲学の歴史を顧みれば、多くの人が「プラグマティスト」と呼ばれてきました。しかし、そこで言われている「プラグマティズム」とはそもそもどのような意味で使われているのでしょうか。この講義では、とかく曖昧になりがちなこの語の中心部を、源流に立ち戻ることで明らかにしたいと考えています。また、より一般的なレベルでは、プラグマティズムと言えば、役に立つことなら何をしてもよいとか、実利優先のアメリカ的な(浅薄な)考えだと見なされることも多いので、そうした誤解を解くことも同時におこなっていきます。

2について。プラグマティズムと宗教のつながりは、とりわけ現代の議論を見ているだけではイメージしづらいところがあります。しかし、ジェイムズがこの本を書いたとき、根本的なところで宗教の擁護という動機が働いていました。プラグマティズムは宗教とどのように結びついているのか。また、ジェイムズの支持する宗教とはどのようなものなのか。講義を通じて、この問いに明確な答えを与えたいと思います。

この講義をとおして、アメリカ哲学史の面白さと奥深さをお伝えしたいと考えています。みなさんのご参加を心よりお待ちしております。

※この講義で使用する『プラグマティズム』(桝田啓三郎訳、岩波文庫、1957年[2010年改版])は、旧版と改版で頁付けが異なります。講義では、改版の頁数で指示をおこないます。

※※この講義は、2023年9-10月におこなわれた同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

大厩諒 (中央大学)
¥7,000
人間の条件

ON-DEMAND
24 | 04/08

人間の条件

この講義では、ハンナ・アーレントの代表的著作『人間の条件』を、5週間(全6回)という時間をかけて丁寧に読み解いていきます。

アーレントは生前のあるインタビューにおいて、自らのことを「哲学者」とは見なしていないと答えていました。しかし、この講義では『人間の条件』を、まぎれもなく第一級の「哲学者」によって書かれた、正真正銘の「哲学書」として読み進めていきたいと思います。

とはいえ、そう思ってこの書を読み始めると、少なからぬ読者が戸惑いを覚えることになるかもしれません。というのも、そこではデカルトやカントの著作のように抽象的な概念を用いての思弁が続いているわけでもなく、「哲学書」の一般的なイメージとは異なった議論が展開されているからです。

哲学者はしばしば、「〇〇とは何か?」という問いを立て、「〇〇」の「本質」や「本性」を明らかにすることによってその問いに答えようとします。ところが、この書において問われているのは、「人間の本性」についてなのではありません。したがって、「人間とは何か」という問いに答えることが目指されているわけでもありません。この書で問われているのは、あくまで「人間の条件」についてです。「人間の条件」とは、この世界で生きている人間の実際の有り様や、人間が置かれている現実的な状況のことを指します。

それは例えば、人間が「生命」として存在しているということであり、また、人間は「生まれてくる」ことによってこの世界に存在し、いつかは「死にゆく」存在であるということです。あるいは、人間が「地球=大地」のうえで生きているということや、人間が一人ではなく「複数」でこの世界に存在しているということなどです。

一見「哲学書」らしからぬ書である『人間の条件』ですが、全6回の講義を通じて、この書の「哲学書」としての真価を明らかにしていきます。

テキストについて

『人間の条件』には以下の2つの邦訳がありますが、どちらを用いても問題ありません。両邦訳では、いくつかの重要概念について異なる訳語が採用されていますが、その点についても講義内で解説する予定です。

ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年
ハンナ・アレント『人間の条件』牧野雅彦訳、講談社学術文庫、2023年

原書:Arendt, The Human Condition (1958), The University of Chicago Press, 1998.

齋藤 宜之
¥8,800
実践理性批判

ON-DEMAND
24 | 05/20

実践理性批判

我々は日常的に、様々な道徳に囲まれて生きています。「嘘はつかない」とか、「ゴミは朝決まった場所に出す」とか。でも、そんな道徳って、ホンマにあるんでしょうか?道徳なんか、妄想じゃないでしょうか?他方で、もし道徳があるとしても、我々の人間の意志って所詮機械みたいなもんで、道徳に従うかどうかを自分で決めることなんかできないんじゃないでしょうか?もしかしたら、人間の意志も行動も、あらかじめ物理的に決められているのかもしれません。人間の意志は自由ではないわけです。そうしたら、そんな人間について道徳を云々しても意味なくないですか?

このような問いに真正面から向き合い、「道徳も自由もある!」と答えた哲学者と言えば、イマヌエル・カント(1724-1804)です。カントの主著、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は「三代批判書」と呼ばれていますが、その中でもまさに道徳を扱う『実践理性批判』(1788年)において、カントは自由と道徳(法則)の存在を問いました。

『実践理性批判』は哲学の中でも道徳哲学、もしくは倫理学に関する著作です。倫理学とは、行為の正不正、または善悪を扱う部門であると言えます。例えば、「他人の嘘をつくことはつねに不正なのか。それともその嘘によって人が幸せになるのであればその嘘は正しいのか」などの問いを扱います。

しかし、『実践理性批判』のカントは、このような個々の倫理にさほど関心を払っていません。むしろ、倫理を成立させる根拠にまでさかのぼります。つまり、それは人間の理性、そして道徳法則と自由の可否を問うことになるのです。本書のテーマは「道徳法則と自由」と言うことができるでしょう。
 
カントの著作は(時には哲学者にとってすら)難解であることはよく知られています。カントのもう一つの倫理学書である『道徳形而上学の基礎づけ』(1785年)を読んだことがある方が少なからずいらっしゃるでしょうし、『基礎づけ』に関する私の講義を受講された方もいらっしゃるでしょう。実は、『実践理性批判』は『基礎づけ』よりも形而上学的で、理論的で、つまりは抽象的で難解です。おそらく、一人だけで読み進めることはかなり難しいで���ょう。

だからこそ、ついに私が『実践理性批判』の講義を実施することになりました。『実践理性批判』の講義は長くなるので今まで断ってきましたが、オンデマンド型の導入により、実現しました。今回は、ぜいたくにも八回の講義を通じて『実践理性批判』をわかりやすく解説していきます。「純粋理性」「理性批判」そして「自由」というカント形而上学の核となる概念をしっかりと掴んでいきましょう。

長丁場にはなりますが、この機会に、カントの王道、『実践理性批判』をねちねちと一緒に読み進めてみませんか。頑張ってついてきてください!!

 

テキストとしては、『実践理性批判』(波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫)をご用意ください。他の翻訳書でも結構ですが、訳語や頁数が異なることはご承知おきください

「序」は読まずに、「緒論 実践理性批判の構想について」から読み始め、第一部の第一篇を読みます。41頁から218頁までです。

第4回講義と第5回講義の間に一週間ではなく二週間設けることで、学習の遅れを取り戻し、休憩し、あるいは復習・予習していただく時間とします。この時期にオンライン懇親会を行うかもしれません。

また、講義の進度によっては講義回数を増やす可能性があります。

 

髙木裕貴 (信州大学研究員(日本学術振興会特別研究員-PD))
¥12,000
創造的進化

ON-DEMAND
25 | 06/06

創造的進化

この講義は、2023年12月に実施された同名のライブ講義をオンデマンド化したものです。

私たちはどこから来て、私たちは何者で、私たちはどこへ行くのか〉。もっと漠然とした形かもしれませんが、そしてあまり人前で口に出すことはありませんが、だれの心にも一度は浮かんだことのある問いかもしれません。

さて、アンリ・ベルクソンという哲学者がいます。彼はとある講演の中で、先ほどの冒頭に掲げた問い、「人間の起源、本性、運命」の問いこそが、哲学の「死活の問題」であると語ります(「意識と生命」)。また別の講演では、この「死活の問題」に対して哲学がなんの答えも持たないのなら、「すべての哲学は一時間の骨折りにも値しない」と厳しく断じています(「心と体」)。

そんなベルクソンの代表作である『創造的進化』(1907年出版)は、「生命」という観点からこの問いを探求した哲学書です。ベルクソンが100年以上前に『創造的進化』を著したのち、分子生物学は驚くほどのペースで発展しつづけてきたけれども、この学問が分析するところの生命がどこから来てどこへ行くのかという「進化」に関する問いは未だ尽きません。進化論とは生命のこれまでの来歴・これからの命運そのものを考えさせるジャンルです。だからこそ進化論は、単に科学の一分野であることを超えて、何かわたしたちを動揺させる問題提起力を持っています。

『創造的進化』のベルクソンは進化をどう思考したか。ベルクソンは同時代の諸学説による生命進化の説明原理(最も有名なのはダーウィンのそれでしょう)を哲学的に分析し、どれも不徹底なものとして退けつつ(第一章)、彼自身にとって最も納得できる生命進化の解釈を練り上げ(第二章)、ついには「生命の意義」を思考します(第三章)。この哲学者は、生命進化というわたしたちの歴史についての適切な語り方を提示し、その上で私たち人間の立ち位置を理解し、さらにわたしたちの向かう先について一定の解答を提出してみせます。なんたる大仕事でしょうか!

要するに、生命という具体的な対象に深くコミットしつつ、人間の起源・本性・運命という「死活の問題」に切り込むという、とてつもなく真っ当な、しかしだからこそ困難なプロジェクトを遂行してみせた哲学書——それが『創造的進化』という著作です。この未曾有の哲学的冒険を、わたしたちはじっくりと約1ヶ月かけて追体験していこうというわけです。

本講義は次のような流れで進んでいきます。①各講義では、あらかじめ私の方から前提となる知識やヒントを提供する講義を行います。②各章を各自で読んでいただきます。③講義では、まず私の方から、その章の読解を示します。その上で、参加者読解や疑問や意見を取り上げつつ、議論を深めていきます。④講義の最後には、次週の読解範囲の前提となる知識やヒントを提供します。研究者としてベルクソンに付き合ってきた経験から、ベルクソンははじめてだという方も含め、参加者の誰しもがベルクソンのおもしろさに触れられるよう努めます。

濱田明日郎 (在野研究者)
¥5,500

The Five Booksの特徴

研究者が読書の案内役

専門的な訓練を積んだ研究者が書籍を解説し、参加者へ問いかけ、質問に答えます。書籍の背景・解釈・文脈を知ることで、一人では辿り着けなかった読みが開けていきます。

14人以上の講師が案内します

4〜6週間、一冊と向き合う

一冊を4〜6週間かけて読み進めます。毎週少しずつ読むペースで、理解と思考を積み重ねていきます。

毎週届く、問いかけ

講師から毎週、書籍に関する問いかけが届きます。何に注目して読むかの道標になり、考えながら読むきっかけになります。※ライブ講座限定

考えを書き、投稿する

ディスカッションボードで、問いへの自分の考えを言葉にして投稿できます。書くことで思考が整理されます。※ライブ講座限定

他の読者の問いや考えに触れる

参加者は学生から社会人、研究者まで幅広く、同じ本に関心を持つ多様な背景の読者が集まります。その投稿から、自分が気づかなかった視点や問いに出会えます。それが新たな考えのきっかけになります。※ライブ講座限定

受講の流れ

  1. 01

    読む

    書籍を事前に購入し、毎週指定された範囲を読み進めます。1週間あたりの読書量は無理のないペースに設定されています。書籍によっては全ての章を読まず、一部を読む講座となる場合があります。

  2. 02

    講座に参加する

    週に一度、Zoomによるライブ講座またはその録画を視聴します。第1回は読書前の準備として、書籍の背景・著者・時代的文脈を学ぶ導入講座です。全ての講座は初めてその書籍を読む方を対象に構成されており、専門知識は必要ありません。疑問点は講座中にリアルタイムで質問でき、全講座は録画されて後から何度でも視聴できます。

  3. 03

    考え、育てる

    講師から届く問いかけをきっかけに、自分なりの考えや疑問を持ち、育ててみましょう。専用のディスカッションボードへの投稿は任意です。読むだけでも、書いて投稿してもよく、参加の強度や方法は参加者それぞれに委ねられています。他の参加者の考えに触れることも、学びの一部です。※ディスカッションボードはライブ講座限定

新しい講座を作る

読みたい書籍に投票する

読みたい書籍を提案し、投票できます。票数の多い書籍は実際の講座として検討します。あなたの一票が、次の講座をつくります。

書籍を提案

読みたい書籍を提案できます

講座化へ

投票数の多い書籍は実際の講座へ

丁寧な選書

全ての提案を丁寧に検討します

講師として参加する

専門性を学外へ

長く向き合ってきた書籍について、深く読みたい読者に向けて講座を開きませんか。学術的な訓練を経た視点で本を読み解く経験は、一般の読者には得難いものです。専門分野を問わず講師を募集しています。

よくあるご質問

言葉にするとき、考えが現れる。

研究者が案内する読書講座で、一冊を深く読んでみませんか。