終了済み講義
人間の行為・振る舞いの善さや悪さ、あるいは正や不正を探求する哲学の分野は、倫理学と呼ばれています。この倫理学は哲学の誕生とほぼ同時期から現在に至るまで、様々な仕方で論じ続けられてきました。その意味では非常に息の長い分野です。このように長い歴史をもっていると、当然ながら「型」のようなものが生まれてきます。現在では、倫理学には少なくとも三つの「型」があると言われています。カントを代表とする義務論、アリストテレスを代表とする徳倫理学、そしてベンサムやミルを代表とする功利主義です。
これらの中で取り上げるのは、ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)の功利主義です(The Five Booksでは、アリストテレスとカントの講義がすでに行われており、おそらくこれからも行われますので、本講義で倫理学の主要学説、あるいは型をおおむね網羅することが可能になります!)。ミルは、『論理学体系』(1843年)、『経済学原理』(1848年)『自由論』(1859年)、『代議制統治論』(1861年)、『大学教育について』(1865年)、『女性の隷属』(1869年)といった各分野における古典的著作を残しており、現代的影響も計り知れません。。特に『自由論』はリバタリアニズムの古典として有名です。ちなみに、ミルの『自伝』では、一時期自身が陥った「精神の危機」についても赤裸々に語られていて、なかなか読み応えがあります。
そんなミルが倫理学において残した古典的著作こそ、『功利主義』(1861年)です。功利主義の主張内容は、「最大多数の最大幸福」という標語の中に(ほぼ)すべて含まれています。簡潔に言えば、「なるべく多くの人々になるべく多くの幸福を与えなさい!」ということです。この標語を聞いた限りでは、功利主義に反発する人は少ないのではないでしょうか。特に、政治・法律という分野では、この原理を採用しない理由はないでしょう。
しかし、欠点のない思想なんぞありません。例えば、功利主義の正しさってどうやって証明できるのか。幸福って快楽にすぎないのか。快楽なんて計算できるのか。幸福と正義はどちらが重要なのか。ミルは自身の父の友人であり、功利主義の祖でもあるジェレミー・ベンサムの思想を継承しつつ、その欠点を克服しようとします。ぜひ、ミルのテキストを理解しつつ、ミルとともにこういった問題について考えていきましょう。
なお、本講義では、功利主義の祖であるベンサムや、エピクロス、アリストテレス、ホッブズ、カントなどの話も交えて進めていけたらと思っています。時間が許せば、ミル以降の現代功利主義の展開などにも触れてみましょう。
※私がこれまでに担当した講義と比べると、テキストの難易度はかなり下がります。 ※ミル『功利主義』(関口正司訳、岩波文庫、2021年)をご準備ください。他にも二種類の翻訳書がありますが、本書が最新で最安の版です。なお、本訳書に収録された「付録」は本講義では扱いません。
第1回講義:2022年11月13日(日):20:00 - 21:30
イントロダクションの授業となります。ミルの生い立ちや執筆活動や『功利主義』の執筆背景、そして倫理学のイロハや、テキストを読んでいく上での注意点などを伝授(?)していきます。第一回では事前にテキストを読んでおく必要はありませんので、準備運動としてご参加ください。
第2回講義:2022年11月20日(日):20:00 - 21:30
「第一章 概論」および「第二章 功利主義とは何か」を読み進めます。 功利主義とは何か、功利性原理とは何か、(最大幸福という際の)幸福とは何か、という基本的な説明がなされます。続けてミルは、功利主義に対する誤解を解き、反論に答えていていきます。特に、カント批判や、エピクロスやベンサムの快楽主義の快楽主義に対して修正を加えていくあたりが見どころ(読みどころ)です。
第3回講義:2022年11月27日(日):20:00 - 21:30
「第三章 道徳的行為を導く動機づけについて」「第四章 効用の原理の証明について」を読み進めます。 「最大多数の最大幸福」が正しいことがわかったとして、我々はこの原理に従って行為、すなわち、道徳的行為へとどうして動機づけられることができるでしょうか。みなさんもしばしば、この原理が正しいことをわかっていても、ついついエゴイスティックな行動をとってしまうことがあるのではないでしょうか。この問題に対するミルの解答を探っていきます。 ところが、みなさんは、哲学に証明なんて可能なのか、と思われるかもしれません。ミルは功利性原理の証明についてもここで語っています。ミルの証明手法は、批判も含めて色々と議論されてきましたが、個人的にはそれなりに面白いと思っています。
第4回講義:2022年12月04日(日):20:00 - 21:30
「第五章 正義と効用の関係について」を読み進めます。 功利主義、あるいは功利性原理は、正義・権利・法とはどのような関係にあるのでしょうか。あるいは、功利性原理と正義の原理は、どちらが優先されるべきなのでしょうか。最大多数の最大多数を実現できなくとも、正義が実現されていればいいでしょうか。それとも、正義が実現できなくとも、最大多数の最大幸福が実現されていればそれでよし、でしょうか。ミルの答えは、正義の原理よりも功利性の原理が優先するのであり、正義の原理は第二の原理にすぎない、というものです。ミルとともに、時にはミルに反対して、考えてみましょう!!
哲学は面白い!!!!私が胸を張って言いたいのはこれです。他方で、哲学は難しいし、意味がないと思われる方は少なくありません。確かに私もいつもこのように自問自答しています。ここでさしあたりこの「疑惑」に私なりに答えるならば、次のようになります。「簡単な学問なんか要らない。そもそも簡単な学問なんてありえないし、さらに簡単さはやりがいを削いでしまう。また、確かに哲学は利益を生み出すことはないが、そもそも目に見えて役立つような哲学は要らない。哲学はなにより、面白いという意味がある!!」この哲学の面白さを伝えたくてたまらない!!ぜひ講義でお会いしましょう!!