終了済み講義
日常生活を送るなかで、ふと、自分の人生の目的や意味がわからなくなる。「私はなんのために生きてるんだっけ。お金のため?名誉のため?」……そのどれもがしっくりこなくなったとき、いっしょに答えを探してくれる書物があります。
『知性改善論』は、まさしくそのような著作の一つです。ひょっとすると『知性改善論』というタイトルを聞いた人は、「なにか卓越した知性の持ち主がひとびとの平々凡々な知性を鍛え直してやる」みたいな、ちょっと押し付けがましい印象を抱くかもしれません。しかし、最初の数ページを読むだけで、それは違うとわかります。この本の著者自身が、自分の生に迷い、「自分がほんとうに欲しいものは何だろう」「ほんとうの幸せを手に入れるには、どうすればいいのだろう」と思い悩むようすが描かれているからです。そうして、「そのためには、まず認識の仕方を変えよう」と決心して、自分で自分の知性を磨こうとした。その軌跡が『知性改善論』なのです。
ここで少し、著者と著者が生きた時代の話をしたいと思います。『知性改善論』を書いたバルーフ・スピノザという人は、17世紀ヨーロッパという、宗教戦争や飢饉に見舞われた不安定な時代を生きた人です。この時代、人びとはもはや何を信じたらよいかわからなくなり、懐疑主義が流行しました。本当の幸せを哲学や真なる知の獲得に求め、そのための方法論を模索してゆくと、懐疑に陥ってしまう。同じく17世紀の哲学者デカルトによる有名な「方法的懐疑」は、このような状況で、それでも懐疑を乗り越えようとして生み出されたものと言えるでしょう。
しかしスピノザは、はじめからそのような懐疑には付き合いません。真なるものは自分の中にはじめからあって、真理への道ははじめから開かれている、と考えたからです。だからといって、真なるものを自己のうちに見出すために、瞑想や自分探しによって真理に「目覚めよう」とする神秘主義でもありません。『知性改善論』は、そうした極端な懐疑でも神秘思想でもない、きわめて実践的な著作である点に特徴があります。「絶対に揺らがない真理の礎」なんかなくても、じっさいにうまく考えられているときというものはあるものです。たとえばこんな一節があります。
鉄を鍛えるためにはハンマーが必要であり、ハンマーを手に入れるためにはそれを作らねばならず、そのためには他のハンマーと道具が必要であり[中略]、このようにして無限に進む。しかし[中略]、じじつ、人間ははじめは生得の道具を使って、少しのきわめて簡単なものを、苦労してかつ不完全にではあるが、作ることができたのだ。
初めからそんなにすぐれた道具(=ハンマー)を持っていなくても、そのへんの石とか、自分の手とか、すでにあるものから始めればよい。そこには、完全でも純粋でもないかもしれないが、真理のかけらはたしかにあるのだから。スピノザが示しているのは、そのような地に足のついた、力強い方法論なのです。
スピノザはオランダ生まれのユダヤ人であり、若くして破門されるなど、宗教的・政治的動乱にかなり振り回されてしまった人でした。不安定な時代に徹底的に晒されながら、スピノザの著作からは決して悲観的な匂いがしません。『知性改善論』は、同じく不安定な時代に晒されて生きる私たちが、それでも前向きに哲学する勇気を与えてくれる著作だと思います。みなさんと共に、この短い著作を味わえるのを楽しみにしています。
*書籍は参加者各自でご用意ください。『知性改善論』(畠中 尚志 訳 岩波文庫)、『知性改善論/神・人間とそのさいわいについての短論文』(佐藤 一郎 訳 みすず書房)のどちらの訳書でご参加いただいても構いません。講義中に扱う訳語は畠中訳に基本的に依拠します。
第1回講義:2022年12月03日(土):20:00 - 21:30
まずは、『知性改善論』を読むために背景知識を説明します。スピノザの人生や同時代の空気についてお話しするほか、スピノザの主著と呼ばれる『エチカ』との関係についても簡単に説明しようと思います。
第2回講義:2022年12月10日(土):20:00 - 21:30
『知性改善論』第1節〜第35節を読みます。スピノザが哲学的探求を始めるまでの紆余曲折が見られる、読みごたえのある冒頭から、デカルトとは違う方法論にたどり着くまでの道のりをたどりましょう。
第3回講義:2022年12月17日(土):20:00 - 21:30
『知性改善論』第36節〜第65節を読みます。方法とは真なる観念のことだった、と気づいたスピノザは、真なる観念とそうでない観念との違いの分析へと進みます。虚構(フィクション)論としても面白い箇所です。
第4回講義:2022年12月24日(土):20:00 - 21:30
『知性改善論』第66節〜第110節を読みます。観念の分析の残りを終え、次にスピノザは「定義」に着目します。じつはこの著作は未完に終わってしまうのですが、なぜ完成しなかったのか、スピノザの「挫折」込みで味わいます。
京都大学で哲学史研究をしている榮福真穂です。スピノザ・デカルトを中心とする西欧近世の哲学を専門にしています。
17世紀はしばしば「天才の世紀」と呼ばれ、独創的な思想を展開した哲学者たちが数多くいる時代です。他方で、彼らが生きていた当時のヨーロッパは、宗教戦争や内乱が絶えず、既存の価値観や秩序が根底から揺るがされた「危機の時代」でもありました。17世紀の哲学はその常識にとらわれない突き詰めた思考で時代を問わずわたしたちを魅了しますが、同時に、何を信じれば良いかわからない中で「自分の頭で考える」ことを求められる現代との重なるところの多さも、いつも興味深く感じます。
とりわけ今回取り上げる『知性改善論』は、何を信じればよいか、どうすれば上手に考え、善く生きることができるのか、といった問いが、スピノザにしては珍しく切実さを伴って表された著作です。よりよく考えるための指針をイチから作ろうと試行錯誤する著者の姿は、400年の時を超えて私たちに勇気を与えてくれるように思います。みなさまのご参加お待ちしております。