開講中の講義

場所

『場所』

アニー エルノー 著

25年11月29日(土) ~ 25年12月20日(土)

毎週土曜日 20:00 - 21:30

終了後2年視聴可能

全4回講義

参加料金:6800円

最少開講人数:5名

講義概要

  この講義では、2022年にノーベル文学賞を受賞したフランス人作家アニー・エルノーの代表作の一つである『場所』(原題:La Place)の全文を読みます。1940年にフランス北部のノルマンディー地方に生まれた彼女は、自伝的な作品を書き続ける中で、家族やジェンダーなど、現代社会を考える上で重要な諸問題を扱ってきました。

 中でも注目すべきは、エルノーが、いわゆるブルーカラーの両親のもとに生まれたにもかかわらず、大学を卒業して教員となった事実でしょう。彼女の両親は、カフェ兼食料品店を営んでいましたが、もともとは労働者階級に属していました。社会階層を超えたことで生じた葛藤は、エルノーの作品に繰り返し登場する主題です。デビュー作の『空の箪笥』(1974)以来、同テーマは反復されてきましたが、そのことは今回読む『場所』にも共通しています。

 1984年に発表された『場所』は、同年フランスの高名な文学賞であるルノドー賞を獲得し、エルノーの名前がフランス文壇に知られるきっかけとなった重要な作品です。自伝および伝記的な性質を持つ本作では、作家自身の姿と重なる語り手が、父親の人生を再構成していきます。農場や工場で労働者として働いてきた父は、同じく工場労働者だった母と出会い、後にカフェ兼食料品店を開店します。両親にとって、カフェの経営者になることは、労働者の悲惨さを脱し、社会のはしごを一段上る重要な経験でした。しかし、二人の間に生まれた娘、すなわち語り手は、カトリック系の私立の女子校に通い、大学を卒業して、やがて教師になります。階級の越境を経験した彼女は、二つの世界の板挟みになり、葛藤を覚えます。父も、娘に対する尊敬と嫉妬の相反する感情を抱き続けており、そうした登場人物の複雑な心情が抑制された筆致で描かれていくのです。

 エルノーの作品は、比較的簡潔な文体で書かれており、『場所』に関しても、文意を把握するだけであれば、それほど難解とは言えません。しかし、自伝的作品という性質上、作者自身の経歴を知ることは必要不可欠です。また、エルノーは自身の人生を語る中で、それを常に社会や言語といったより広い問題と結びつけようとします。そのため、フランス社会やフランス語についての情報を提供することで、作品をより深く理解することが可能になるでしょう。 

 そこで、本講義では、「自伝」、「社会階級」、「言語」といったエルノー文学のキーワードについてみなさまと考えながら、『場所』というテクストを読み進めていきます。エルノーが描いているのは主にフランス社会ですが、その問題意識は現代の日本を生きる私たちと無関係ではありません。特に、近年「格差社会」の弊害が指摘される日本においては、『場所』に見られる「社会階級」に関する問いは多くの示唆を与えてくれるはずです。本講義を通じて、みなさまがエルノーの作品に少しでもご関心をお持ちになっていただければ嬉しく思います。

 なおこの講義では、アニー・エルノー、堀茂樹(訳)、『場所』、早川書房、1993年を使用します。                                 

各講義の概要

第1回:2025年11月29日(土)20:00-21:30

 『場所』を読むための前提となる作家アニー・エルノーの人生や作風について紹介を行います。また、本作品のみならず、広くエルノー文学に共通するテーマである「自己を語ること」に関して、現代フランス語圏文学の文脈から考察していきます。「自伝」と「歴史」が現代文学においてどのように位置づけられるようになったのかを解説することで、『場所』というテクストを読解する準備を整えます。

第2回:2025年12月6日(土)20:00-21:30

 冒頭から54頁までを読みます。自身の父の死について思いを馳せた語り手が、父の人生について語り始める箇所です。語り手が生まれる前の出来事が主に扱われているこの部分では、農場・工場労働者としての父の苦悩や両親の出会い、そして二人がカフェ兼食料品店を開店する場面などが描かれます。「労働者」から「カフェ兼食料品店の店主」への移行が、彼らにどのような「誇り」をもたらしたのか。この点に着目することで、エルノー自身の社会階級への鋭い意識を理解することが可能になるでしょう。

第3回:2025年12月13日(土)20:00-21:30

 55頁から105頁を扱います。語り手の誕生以降の父の人生が主として描かれる箇所です。この範囲で重要なのは、語り手が学校に通い始め、プチブルジョワの子供たちとの交流を持つようになった結果、父との間に心理的な溝が生まれたことでしょう。子供が自分より上の社会階層へと上がっていくことに対する父の誇りと嫉妬。そして、それらを全身に感じることで深まる語り手自身の苦しみ。こうした複雑に交錯する両者の感情を冷静に書きつけるエルノーの筆致は見事です。また、「方言」に対する父と語り手の捉え方という「言語」の問題も、作品を読解する上で注目すべき点と言えます。

第4回:2025年12月20日(土)20:00-21:30

 106頁から物語の結末までを読みます。語り手が大人になり、父が日に日に老いていく1960年代の出来事が主に語られる部分です。ここでは、まず当時のフランス社会の急激な変化に着目する必要があるでしょう。消費社会の進展により、両親のカフェ兼食料品店のような小売店の経営が困難を増していく時代が描かれているためです。また、語り手はいよいよ教師となり、両親の属していた社会階級から完全に離れます。父と語り手の世界の断絶は、前回の講義で扱った二人の心理的溝を決定的なものにしますが、一方で語り手は板挟みになり苦しんできた二つの世界の双方と折り合いをつけ、両親の生きた世界の物語を冷静に語り終えるのです。単純な自伝や伝記にとどまらない広がりを帯びたエルノーの代表作を、ぜひ最後まで読み通していただければと思います。

講師からのメッセージ

 こんにちは。講師の山内瑛生(やまうちえいじ)と申します。現在は武蔵野大学にてフランス語の非常勤講師をしつつ、フランスとベルギーの現代文学を研究しています。The Five Booksでの講義は、パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』に続き、二回目となります。

 アニー・エルノーは、フランス人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した作家です。日本でも2022年のノーベル賞受賞によってようやく知名度が上がりましたが、それ以前からエルノーはフランス国内で重要な作家として位置づけられてきました。個人的に、エルノーの作品の魅力は、二点あると思います。一つ目は、個人的なエピソードを語りながらも、絶えず社会というより広い枠組みに視点を広げていくその批評眼の鋭さです。二つ目は、そうした一種の社会学的冷静さにもかかわらず、作家自身と重なる語り手の感情が精緻に描写されていることです。この二つが相乗効果を生み、彼女の作品に「文学」としての価値が生まれているのではないかと私は考えています。

 今回の講義では、『場所』のみを読むことになりますが、他の作品の紹介も織り交ぜることで、エルノー文学の世界をみなさまと少しでも共有できたら幸いです。また、今回も適宜フランス語の原文に言及しながら解説しますので、フランス語に興味をお持ちの方のご参加も歓迎いたします。

 みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

参加にあたってのご案内事項
  1. 各講義は、録画のうえ参加者へ講義後半日後に共有いたしますので、一部講義にご参加が難しい場合もご参加をいただけます。
  2. 録画動画は、講義終了後もご覧いただけます。各講義の録画視聴期間は、本ページ上部に記載しています。
  3. 書籍は、参加者各自でご用意ください。
  4. 講義では、受講者の方に質問や受講者同士の対話を強要することはありません。講義中のご質問は、Zoomのチャットまたは音声で行うことができます。
  5. 参加申込期限は初回講義開講時間までとなります。
  6. 開講3日前20:00の時点で最小決行人数に達していなかった場合は、本講義を中止させていただくことがございます。その場合参加登録をされた皆様へご返金させていただきます。
  7. 開講1週間前に、参加者にはzoomとslackのURLをご共有いたします。それ以降は講義参加へのキャンセルはできませんので、ご了承願います。