終了済み講義
私は、J・S・ミル(1806-1873年)の専門家ではありません。また、主にミルの思想を支持する者でもありません。しかし、それでも哲学、あるいは思想一般の中で、私が「これぞ古典!」「死ぬまでも一回くらい読んでみてええんちゃうか!?」と言ってはばからない著作こそ、ミルの『自由論』です。
本書でミルが論じるのは、一口に「自由」と言っても、「市民的・社会的自由」です。これは端的に言えば、他者や社会(国家)から行為や表現が制限されないことの自由のことを指します(カントが主題としているような、「意志の自由」とは全く異なる意味の自由です)。この自由は通常、何らかの理由で制限されているはずです。例えば、みなさんには嫌いな奴にアンパンチする自由はないでしょう。あるいは、自動車を運転する際のシートベルトも、自由を制限するものです。近年は、喫煙の自由も厳しいものになってきています(私は嫌煙家ですが)。さらには、コロナ禍において要請された外出自粛や、お店の閉業も、明らかに自由を束縛しています。学校の校則だって、近年よく取り上げられています。
ところで、これらの自由の束縛には、いいものと悪いものがあるのではないでしょうか。よいと言える自由の制限はどのようなものでしょうか。正当な自由の制限とはどのようなものでしょうか。ある自由の制限が正しいと言える根拠はなんでしょうか。
この問題を突き詰めて、かなりクリアーな答えを提出したのがミルの『自由論』です。ミルによれば、他人に危害を与えるような行為は制限されるべきなのです。他人に危害を与える自由なんてのは認められない。これを現代では、「他者危害原則」と呼んだりします。ミルは様々な分野において多大な影響を残しましたが、他人に危害を与えない限りにおいて、個人の自由は制限されるべきではないと考える本書は、政治哲学的には「リバタリアニズム(自由至上主義)」に大きな影響を与えました。
さらにミルはこの原則を徹底して、本人の利益になることを促進したり、本人への危害を防いだりするための干渉も、自由の侵害だとして退けます。例えば、私がテスト前日に朝までカラオケに行くとしましょう。無謀ですね。それでもミルによれば、私のカラオケに行く自由を奪うことはできません。たとえアホな行為やとしても、それに干渉してはいけない!それも本人の自由!ってか、人に迷惑かけてなきゃなにやってもいいやん!イランお世話や!というわけです。これを現代では「愚行権」と呼んだりします。鋭い人はおわかりでしょうが、ここでミルはいわゆる「パターナリズム」に明確に反対の立場をとっているわけです。
では、なぜそもそもミルはここまでして自由を擁護するのでしょうか?なぜ人は他人や国家から可能な限り自由であるべきなのでしょうか?みなさんはどう思いますか?ミルはここで独自の答えを提出しています。ここでは詳らかにしませんが、見どころは、ミルの『自由論』と『功利主義』の関係でしょう。自由に関するミルの主張は、実はその功利主義に裏打ちされているのです。
ただし、私はいつも言っているのですが、欠点のない古典もまたありえません。本講義では、基本線ではミルの議論に同意しつつ、現代的な議論を取り入れてそれを料理していきます。例えば、ミルの言う「危害」ってどれほどのことを指すのか、という点を議論し、「不快原則」という理論を紹介します。あるいは、ミルの嫌うパターナリズムの代替案として、「リバタリアン・パターナリズム」というものも紹介しましょう。さらに、ミルは他人に影響を与えてしまう行為と、他人に影響を与えない行為を区別できると考えているのですが、はたしてそうなのか、といった疑問も取り上げてみましょう。
現代社会で生きる上で、自由の問題は避けることはできません。この機会にぜひ、ミルとともに社会と個人の自由の関係について考えてみましょう。
※本講義に参加する際には、J.S.ミル著『自由論』(関口正司訳、岩波文庫、2020年)をご準備ください。他の翻訳書でもかまいませんが、ページ数や翻訳が異なることはご理解ください。
第1回講義:2024年10月27日(日):20:00 - 21:30
イントロダクションの授業となります。ミルの生い立ちや執筆活動、『自由論』の執筆背景、そして『自由論』の影響などを共有していきます。第一回では事前にテキストを読んでおく必要はありませんので、準備運動としてご参加ください。本書に立ち向かう鋭気を養っていただきます。
第2回講義:2024年11月03日(日):20:00 - 21:30
「第一章 序論」を読みます。まず、「自由とは何か」という基本からはじまります。なぜミルはこの自由を問題とするのでしょうか。なぜ自由に関するルール、自由を制限するルールをあらためて論じなければならないのでしょうか。ミルは人類の歴史を振り返った上で、説明してくれます。
~~ 1週間のお休み ~~
第3回講義:2024年11月17日(日):20:00 - 21:30
「第二章 思想と討論の自由」を読みます。民主主義が定着しつつあった当時のイギリス社会を見て、ミルは民主主義の問題を指摘します。特にミルは多数派の専制に警鐘を鳴らします。我々は少数派にも自由を認めるべきなのです。では、なぜでしょうか。多くの人は素朴に、「少数派の意見にも耳を傾けるべきだ」と考えるでしょう。しかし、それはなぜでしょうか。これは、「空気を読む」のが大事とされている現代日本において、大きな問題提起になるはずです。ミルと共に考えましょう。
第4回講義:2024年11月24日(日):20:00 - 21:30
「第三章 幸福の一要素としての個性について」を読みます。前章は言論の自由を主題としたのに対して、本章では行動の自由を主題とします。この行動の自由が担保される場合、個々人がもつ個性も担保されることになるでしょう。そして本章のタイトルが表しているように、ミルによれば個性とは幸福の一要素なのです。ここも幸福を根本原理とする『功利主義』の倫理思想が垣間見られます。ミルとともに、個性の価値について考えてみましょう。
第5回講義:2024年12月1日(日):20:00 - 21:30
「第四章 個人に対する社会の権力の限界について」を読みます。本章では、そのタイトルにあるように、個人に対して社会が権力を行使できる限界について論じます。端的に言えば、社会は純粋に個人(本人)にしか関わらないことについては干渉すべきではない、というのが答えです。逆に言えば、他人に関わる場合には当人の行為は制限されうるわけです。しかし、個人にしか関わらない領域と他者にも関わる領域って、どのように分けられるのでしょうか。っていうか、そもそも分けられるのでしょうか。ある意味、人に迷惑かけずになんて生きられないのが現代社会なんじゃないでしょうか。ミルとともに考えてみましょう。
第6回講義:2024年12月8日(日):20:00 - 21:30
「第五章 応用」を読みます。本章はまさに応用編です。売春斡旋、公開賭博、酒類の販売制限、義務教育、自己奴隷化の契約、官僚制などが扱われます。ミルとは時代の乖離があるはずですが、意外と現代にも通用する問題提起となるはずです。さらに、我々が経験したコロナ禍における行動制限などの例も取り上げて、議論していきましょう。
哲学は面白い!!!!私が胸を張って言いたいのはこれです。他方で、哲学は難しいし、意味がないと思われる方は少なくありません。確かに私もいつもこのように自問自答しています。ここでさしあたりこの「疑惑」に私なりに答えるならば、次のようになります。「簡単な学問なんか要らない。そもそも簡単な学問なんてありえないし、さらに簡単さはやりがいを削いでしまう。また、確かに哲学は利益を生み出すことはないが、そもそも目に見えて役立つような哲学は要らない。哲学はなにより、面白いという意味がある!!」この哲学の面白さを伝えたくてたまらない!!ぜひ講義でお会いしましょう!!