終了済み講義
この講座では、文芸作品として一つの到達点を示している中国唐代の詩を、その読み方のはじめの一歩から解説し、1ヶ月後にはご自身で唐詩を鑑賞することが出来るようになって頂くことを目的としています。
さてそこで、今回取り上げる『唐詩選』はいつの時代の詩集でしょうか。
『「唐詩」選』とあるのだから中国唐代(618〜907)の詩集だろうとわかります。それは間違いありません。選ばれている詩は唐代の李白や杜甫といった詩人のものです。
では『唐詩選』はいつ、誰によって選ばれた詩集でしょうか。
現在私たちがこの詩集の名を耳にすると、唐詩のオーソドックスなアンソロジーなのだろうと考えると思いますが、実はこの『唐詩選』は中国明代(1368〜1644)に、李攀龍(りはんりょう)という人物によって編纂されたということになっております(諸説あり)。そしてこの李攀龍は、激烈なる思想を持って古典主義運動に取り組んだ思想家であり、文章のあり方に関して「文は必ず秦漢、詩は必ず盛唐」というスローガンを掲げる古文辞(こぶんじ)運動を主導した人物です。
一般に中国の唐代は、初唐・盛唐・中唐・晩唐の4つに時代区分をされ、それぞれに時代的な、さらに世相に応じた詩的表現の特徴を有すると考えられています。『唐詩選』を編んだ(とされる)李攀龍はこのうち、李白や杜甫を中心とする初唐と盛唐を重視し、一方で日本では有名な韓愈や白楽天が活躍した中唐・晩唐を軽視した詩選を行っています。つまり『唐詩選』はオーソドックスな唐詩の選集ではなく、「詩とはかくあるべき」という李攀龍の明確な思想に基づくアンソロジーなのです。
漢詩のルールは唐代に先立つ六朝時代(220〜589)においてその骨格ができ、唐代において完成の域に達しました。文芸作品はルールという型を獲得することでその美的外観を整えるとともに、表現としての柔軟性や気骨を失うという宿命を背負っています。事実、定型化を進めた六朝時代の漢詩は徐々にその生気を失っていきます。唐詩が優れているとされるのは、定型と情感とが高度なレベルで調和をなしているからだと言えるでしょう。その精華を盛唐の李白や杜甫の詩に見ようとするのが『唐詩選』の選集意図であります。
本講座では『唐詩選』を通して、ある文芸作品が優れていると言えるのはどういうことかという大きな問いを参加者の皆様とともに考えながら、丁寧に一首一首の漢詩作品を読み解いていきたいと思います。
読みは訓読を基本にしますが、古代中国語の語法にも注意を払いながら中国語音での詠みあげも併せて行います。
どんな質問にもお答えをしていきます。漢詩の世界を一緒に見にいきましょう。
※本講座では各回のZoom講義の資料として次週に読解する『唐詩選』の漢詩とその語釈、現代語訳をお配りします。ご自身で『唐詩選』のテキストをご用意して頂くことは求めません。
最も手に入れやすいものは前野直彬注解『唐詩選(上・中・下)』(岩波文庫赤・2000年)です。他の便利な注釈書などについては講義内でご紹介します。
第1回講義:2023年06月03日(土):20:00 - 21:30
『唐詩選』の全体像、および中国文学史上での位置付けと日本への影響について概説をします。
そして漢詩の読み方について、最も基礎的な段階からご説明をいたします。この点はZoomの講義全5回を通して繰り返し反復をしながら、1ヶ月間で漢詩の読み方を身に付けて頂ける構成にします。
第2回講義:2023年06月10日(土):20:00 - 21:30
『唐詩選』の構成は詩の形式別に配列されていますが、各講義で扱う漢詩・詩人は初唐・盛唐・中晩唐と時代順に鑑賞していくこととします。まずは唐帝国の建国期から主に高宗・則天武后の時代にあたる初唐から見ていきます。
唐代に先立つ六朝時代に主に貴族によって担われ、華美・流麗な表現が追求される中で形式化を辿っていた漢詩が、初唐の時代に一定の達成を見ます。詩人の中心が貴族から官僚へと移行することで、宮廷における詩作として修辞表現を基調とする形式美の完成が推し進められました。
一方で、そのような形式化が持つ宿命的な詩の凡庸化に抗して、修辞的拘束から逃れ、内なる感情を露わにする気骨ある表現を求める流れも出てきます。
やがて盛唐において形式と情感の高度な統一へともたらされる、その二つの相異なる流れを含む初唐の詩を鑑賞しましょう。
第3回講義:2023年06月17日(土):20:00 - 21:30
盛唐は、唐帝国が政治的経済的、そして文化的にその繁栄の極みに達した時代、唐の首都、長安の街は自由闊達な空気に満ちていました。そのような時代の雰囲気の中で、李白のような自由奔放で情熱迸る詩人が生まれてきます。 この回では特に李白を中心に見ていきましょう。
第4回講義:2023年06月24日(土):20:00 - 21:30
空前絶後の繁栄を見た唐帝国も、安禄山の乱を境に陰鬱な雰囲気に覆われていきます。都での華美な生活は、庶民の塗炭の苦しみに支えられているという社会矛盾への眼差しを、形式と情感との高度な統一の中で詩に込めた詩人が杜甫でした。『唐詩選』の編者が最も重視した詩人が杜甫に他ならず、同書中最多の五十一首が採録されています。『唐詩選』編者が「詩とはかくあるべし」と考えた、その詩の美とはいかなるものでしょうか。 杜甫の詩作を通して考えていきましょう。
第5回講義:2023年07月01日(土):20:00 - 21:30
安禄山の乱を経て、唐帝国が衰退の一途を辿っていく時代が中唐・晩唐の時代です。 中唐の詩人は、あるいは杜甫のように社会の矛盾を直視して詩作を続ける者もおり、あるいは混乱する社会から目を背け超俗的な詩的表現へと向かう者もいました。晩唐に至ると、唐の没落は明らかになり、甘美で頽廃的な表現や、難渋で朦朧とした表現が好まれる傾向になります。
最終回では全体の概括をして、参加者の皆様の今後の漢詩、あるいは広く文芸作品との関わり方についてのディスカッションなどができればと考えています。
※本講座では、全5回のZoom講義が終了した後に、改めて時間を設定して、参加者の皆様とざっくばらんにお話ができるようなZoom飲み会を計画しています。日程については、講座期間が始まった後に、参加者の皆様と調整をさせて頂きたいと思います。
日本古典文学・和漢比較文学を専門としています、日本学術振興会特別研究員PDの藤井嘉章と申します。 私はもともと学部時代には東京外国語大学で中国語を専攻しておりましたが、大学院に入ってから江戸時代の学者で国学の大成者とされる本居宣長の研究をはじめました。いまでは母校で漢文入門の講義を担当しております。
日本の和文を研究する国学と中国の漢文とは相容れないように見えますが、国学がいわゆる「日本」的なものを求めて漢文的要素(儒教や仏教)を拭い去ろうとした以上、その排除しようとした漢文的要素はどのようなものであったのかという視点は不可欠です。
また国学は一種の復古思想ですが、それに先立つ江戸漢学において、それまで主流であった朱子学的な漢学を排して、直接中国の古典を読み解こうとする荻生徂徠(おぎゅうそらい)による復古思想、すなわち古文辞学(こぶんじがく)が起こっていました。本居宣長の国学の思想的系譜は、この荻生徂徠による古文辞学の方法論に直接連なっています。そしてこの江戸漢学の復古思想である古文辞学こそ、今回扱う『唐詩選』の選者と考えられる李攀龍が明代中国で主導した古文辞運動にインスピレーションを受けたものでした。私自身の研究の関心もこの和と漢の比較文化論にあります。