終了済み講義
私たちは普段たくさんの物事を経験しながら生きています。今朝飲んだコーヒーの苦味、外出先で出会った犬、帰り道どこからか漂ってくる美味しそうなカレーの匂い…。どれもこれも私たちの感覚を通して経験されたものです。そうして経験されたものを私たちは当然のように受け入れていますし、ときにはそこに幸福を見出すこともあります。
けれども、実はそれらがすべて夢だったとしたらどうでしょう。目覚まし時計に起こされて、先ほどまでの幸せな気分は「ああ、本当のことではなかったのだな」と少しがっかりしながら、それでも同じようにコーヒーを淹れて新しい一日を始めるかもしれません。
このように私たちの経験は常に間違えたり夢であったりする可能性に晒されています。そこで、もっと安全な知識を求めて論理学や数学を考えてみることができます。〈2 + 2 = 4〉という数式は、この世界のどこでも、どの時代でも、さらには夢の中だったとしても正しいと言えるのではないでしょうか。
ルネ・デカルト(1596–1650)という一人の哲学者が『省察』を著したさい、彼は文字通り全てを疑うことから始めました。その懐疑の破壊力は、先ほどの数式の正しさすらも疑わしいものとしてしまうほどの、強力なものでした。そうした誇張しすぎとも思える懐疑を乗り越えてこそ、揺るぎない〈形而上学=第一哲学〉を打ち立てることができると彼は考えたのです。
この講義で扱う『省察』は、そうした懐疑をくぐり抜けて、私たちの経験を再び確かなものにしてゆく道をデカルトと共に歩む著作だということができます。この著作を自分自身で一歩ずつ読み進めるという省察的実践を通して、私たちが当然のように受け入れている常識は問い直され、そしてその一部はより強固なものとして焼き直されることになるのです。
『省察』という著作は、簡単ではありませんし、数百年に渡って多くの人々が読解を試みてきた作品でもあります。ですので、この講義だけでその全てをお伝えすることは不可能です。ですが、どんな道も最初の一歩から始まるように、まずは一通り読み通すところから始めることは無駄ではないでしょう。ぜひ一緒に『省察』の世界に足を踏み入れてみましょう。
みなさんのご参加をお待ちしております。
※基本的に講義中の引用はちくま学芸文庫の翻訳に基づいて行う予定ですが、中公クラシックス等の別翻訳での参加でも問題ありません。それぞれの訳出の違いなども含めて楽しめればと思います。また、必須ではありませんが予習されたい方には、小林道夫『デカルト入門』(ちくま新書)をお勧めします。
第1回講義:2023年12月04日(月):20:00 - 21:30
『省察』に付された序言と概要を用いながら、今後読み進めていく内容について先取り的に紹介します。さらに、全六つの省察のうち、強力な懐疑が導入される第一省察について、みなさんの読書をサポートするような形で解説します。
第2回講義:2023年12月11日(月):20:00 - 21:30
第一省察について簡単に振り返った後、第二省察について詳しく解説していきます。ここでは「考えるもの」として「私」の存在が、物体よりも判明に認識されるものであることが確認されます。
第3回講義:2023年12月18日(月):20:00 - 21:30
第三省察について詳しく解説していきます。ここでは、二種類の神の存在証明が行われることになります。第一省察で始まった懐疑を乗り越えるためには、神を措定することが必要となるので、この存在証明は重要な意味をもつものです。難解な箇所でもありますが、丁寧に解説します。
第4回講義:2023年12月25日(月):20:00 - 21:30
第四省察について詳しく解説していきます。ここでは、様々な誤謬が「私」において生ずるのは決して神が欺いていたり悪意をもったりしているからではないことが示されます。そうした誤謬は意志の利用を知性の範囲内に限らないことに由来するということ、そして明晰判明なもののみを判断するならば誤謬の心配がないことが明らかになります。
第5回講義:2024年01月08日(月):20:00 - 21:30
第五省察について詳しく解説していきます。ここでは、物体の本質の分析とともに、三つ目の神の存在証明が行われます。「最高に完全な存在者」としての神を存在から切り離すことはできないという仕方で、神の存在論的証明が提示されることになります。
第6回講義:2024年01月15日(月):20:00 - 21:30
第六省察について詳しく解説していきます。最も危ぶまれていた感覚によって知られる物体の存在が保証されるとともに、第一省察から続いてきた懐疑の停止が宣言されることとなります。
こんにちは。東京大学大学院で哲学を研究している三浦隼暉(みうらじゅんき)です。これまで、多くの参加者の方々と一緒にデカルトやスピノザ、ライプニッツなど近世哲学の著作や、フーコーなどの生命思想史に関する著作などを扱ってまいりました。
しばしば「哲学研究って何をしているの?」と聞かれることがあります。研究の進め方は人によって様々ですが、私の場合、300–400年前のヨーロッパで書かれた文章を読みながら、その内容を、時代も文化も異なる現代の我々にも理解できるような仕方で提示し直すような研究をしています。
私が目指しているのは「哲学は留保なしに愉しい」と感じてもらえるような講義を作ることです。一緒に哲学書を紐解くことで、そのような愉しさを経験するお手伝いができればと考えています。最後に、私の恩師が残した言葉を送ります。「本は一人で読むものですが、ときには窓を開けて一緒に哲学をしましょう」。