開講予定の講義
本講義では、イマヌエル・カントの主著であり、『純粋理性批判』のダイジェスト版と言われる、『プロレゴメナ』をみなさんと読み進めます。
イマヌエル・カントが生きた近世は、形而上学の時代でした。つまり、哲学者は魂の不死性や神の存在といったテーマに必死に取り組んでいたのです。しかし、カントはこう考えました。「神の存在を云々する前に、神の存在を云々できるほどの力がそもそも人間の認識能力にあるのかを問うべきではないか」。そこでカントが出版し、センセーションを巻き起こしたのが、『純粋理性批判』という、認識論の書です。まさに、「純粋理性」という、人間の認識能力を「批判的に」吟味しようというのがその主旨です。カントはこの書で、当時主流とされていたイギリス経験論と大陸合理論という、相反する二つの潮流を調停するのに成功しました。さらに、カントの認識論に触発を受けたドイツの哲学は、「ドイツ観念論」と呼ばれ、フィヒテやヘーゲルといった哲学者を生み出しました。
「すべてはカントに流れ込み、すべてはカントから流れ出た」。
カントは様々な分野で著作を残しましたが、カントの思索の根底にあるのは、この認識論です。すなわち、他の分野の(ほぼ)すべてが認識論の上に築かれているのです。ごく大雑把に言えば、カントの倫理学、論理学、天文学、地理学、美学、有機体論、教育学、人間学、宗教学などは、カントの認識論を前提としています。
なので、カントを学ぶならばその認識論から始めるのが鉄則です。しかし、なかなか物事はうまくいかないものです・・・・・・・。というのも、『純粋理性批判』は(当時から)非常に難解とされており、しかも非常に長いのです(他の著作には、意外と読みやすいものや、非常に短いものもあるのですが)。それゆえ、この書は多くの哲学徒を挫折させてきました(一日1ページ読めば三年弱で読めるのですが)。おそらくこのゆえにでしょう、カントという人物は非常に有名でありながら、実際のところカントの哲学書そのものはあまり読まれていないのかもしれません。
しかし、朗報もあります。カントは『純粋理性批判』出版の数年後、『プロレゴメナ』という著作を世に問いました。この書は『純粋理性批判』のショートバージョンとされており、『純粋理性批判』と比べれば信じられないほどスリムになりました。それゆえ、ひとまず『プロレゴメナ』を読めばいいのです。ただし、この書はスリムであっても、分かりやすくなったかは微妙です(笑)。
そこで、今回は私が本講義を通じて道案内役を担いたいと思います。講義においては、この書の歴史的背景(実はこれがちょっと面白い)はもちろんのこと、難解そうなテクニカルタームの解説や、古典テキストを読む際のコツ、さらには他の哲学者との比較も盛り込んでいきます。我々のような研究者であればテキストにどう向き合うのか、という点もお見せできればと思っています。安易に古典がもつ「現代的意義」を探し求めるのではなく、「古典を読み解くこと」そのものの楽しさをお伝えできたら幸いです。
さて、内容についても少し述べておきましょう。先述のように、『プロレゴメナ』は『純粋理性批判』と同様に認識論の書です。端的に言えば、認識論とは、「我々の認識はいかにして成り立っているのか」という問いを扱うものです。『プロレゴメナ』の目次を見てもらえればわかるように、カントは数学や自然科学をモデルにしながら、この問いに答えていきます。究極的な認識論的問いは、形而上学的認識はいかにして可能なのか、です。具体例を出せば、みなさんは神の存在を認識できると思いますか?カント自身の「答え」はここでは秘密にしておきますが、カントはこの問いに答えるために、『プロレゴメナ』の中で、人間の認識システムの壮大なストーリーを描いて見せます。
ぜひ、みなさんと共に、カントの認識論を解きほぐしていきたいと思います。
この機会に、西洋哲学史において避けては通れない哲学者、カントの主著を読んでみませんか。
なお、テキストは『プロレゴメナ 人倫の形而上学の基礎づけ』(土岐邦夫他訳、中公クラシックス、中央公論新社)を使用します(今後、『基礎づけ』の講義も予定しております。その際は今回と同じテキストも使用いただけるようにするつもりです)。他に手ごろな価格で手に入る訳書には、『プロレゴメナ』(篠田英雄訳、岩波文庫)があります。こちらを使用いただいてもかまいませんが、訳語やページ数が異なっていることはご承知おきください。
それでは、講義でお会いしましょう。
第1回講義:2025年04月19日(土):20:00 - 21:30
簡単なイントロダクションを行います。カントという人物、カントの哲学、そして『プロレゴメナ』が出版された経緯などを解説します。また、いくつかのテクニカル・タームをあらかじめ解説しておくことで、みなさんが一か月かけて『プロレゴメナ』を読破できるための準備をお手伝いしていきます。
第2回講義:2025年04月26日(土):20:00 - 21:30
『プロレゴメナ』のうち、前置きにあたる箇所、すなわち、「序言」「序説」「序説の一般的問題」「序説 一般的問題」を解説していきます。多くの哲学書はこの前書きが難解なのですが、『プロレゴメナ』もその例外ではありません。しかし、この前書きはカントの問題意識、あるいは当時の哲学界の状況が示されている箇所であるので、しっかり理解しておく必要があります。
第3回講義:2025年05月03日(土):20:00 - 21:30
「先験的主要問題 第一部 いかにして純粋数学は可能か」を扱います。みなさんは、経験に依拠しない数学は可能だと思いますか。またそのような数学は普遍的だと思いますか。ここでカントは、どちらの問いにもYes!!と答えます。そしてカントによれば、ここで活躍するのが、感性や直観と呼ばれるものです。
第4回講義:2025年05月10日(土):20:00 - 21:30
「先験的主要問題 第二部 いかにして純粋自然学は可能か」を扱います。みなさんは、経験に依拠しない自然(科)学は可能だと思いますか。またそのような自然(科)学は普遍的だと思いますか。カントはここでもYes!!と答えます。そしてカントによれば、ここで活躍するのが、悟性、概念、判断と呼ばれるものです。
第5回講義:2025年05月17日(土):20:00 - 21:30
「先験的主要問題 第三部 いかにして一般に形而上学は可能か」および「序説の一般的問題の解決 いかにして学問としての形而上学は可能か」を扱います。哲学者カントの最終的な目的は、数学や自然科学ではなく、形而上学を基礎づけることです。それゆえ、ここでカントは形而上学の可能性の条件を問います。形而上学(Metaphysik)とは、自然学(Physik)を超えた(meta)対象の探求のことです。例えば、神という対象が存在するのかを問うのが形而上学です。では、そのような「学」は成立するのでしょうか。カントによれば、ここで活躍するのが、理性や理念と呼ばれるものです。※「付録 学問としての形而上学を実現するために生じうることについて」は省略する予定です。
哲学はおもろい!!!!私が胸を張って言いたいのはこれです。他方で、哲学は難しいし、意味がないと思われる方は少なくありません。確かに私もいつもこのように自問自答しています。ここでさしあたりこの「疑惑」に私なりに答えるならば、次のようになります。「簡単な学問なんか要らない。そもそも簡単な学問なんてありえないし、さらに簡単さはやりがいを削いでしまう。また、確かに哲学は利益を生み出すことはないが、そもそも目に見えて役立つような哲学は要らない。哲学はなにより、面白いという意味がある!!」この哲学の面白さを伝えたくてたまらない!!ぜひ講義でお会いしましょう!!