終了済み講義
アミタヴ・ゴーシュ(1956年~)のthe Hungry Tide『飢えた潮』(2004年)を二週間かけて読んでいきます。本作の邦訳は拙訳で未知谷より、2023年4月末に発売されます。日本の読者にとっては馴染みのないインド系作家の英語小説ですが、原作発表後20年近くたった今なお世界中で愛読されている名作でもあり、さらに近年「気候変動と文学」という観点から再注目を集めている作品でもあります。本読書会では、作品の文学的・社会的・歴史的背景を適宜解説しつつ、訳者ならではの目線で、皆様と一緒に本作をゆっくり、深く、読解していきたいと思います。
本作の著者アミタヴ・ゴーシュは、インド出身の英語作家で、世界中で愛読されている人気作家です。インド・マレーシア・ミャンマーを舞台に、大英帝国全盛期から現代に至る印緬混血の家族の足跡を辿った大河小説『ガラスの宮殿』は世界的ベストセラーになりましたし、著者自身が少年時代に経験した民族・宗教紛争を背景にした『シャドウ・ラインズ』は現代インド文学を代表する名作として長年読み継がれています。アヘン戦争とインドのかかわりに着想を得たSea of Poppies 『罌粟の海』(本邦未訳)は英ブッカー賞の最終候補作にもなりました。
人類学・歴史学の深い知識を持ち、英語・ヒンディー語・ベンガル語・アラビア語を自由自在に使いこなす学者小説家として有名なゴーシュは近年、気候変動・環境問題にも積極的に取り組んでおり、気候変動に対する「文学の責任」を論じたエッセイ『大いなる錯乱―気候変動と<思考しえぬもの>』は、世界中の「文学者」に衝撃を与え、日本でも話題になりました。2019年の米『フォーリン・ポリシー』誌はゴーシュを「過去10年のグローバル思想家100人」として挙げており、まさに現代の読者が読むべき作家として世界的に注目を集めている作家と言ってよいでしょう。
2004年に発表された本作the Hungry Tide 『飢えた潮』は、インド、ガンジス川河口の大マングローブ地帯シュンドルボンを舞台に展開される緻密かつ壮大な小説です。カワイルカやベンガルタイガーに代表されるこの地域の独特の生態系と、獰猛なサイクロンと潮に支配される人々の暮らしを背景に、たまたまこの地で集まった人々―インド系アメリカ人の動物行動学者や、デリーで翻訳業を営む起業家など―の物語がシュンドルボンの河川さながらにもつれあい、過去と現在、二つの時代でドラマチックな破局へと向かっていきます。夫々の登場人物は各々異なった地域的・社会的・文化的・階級的背景を抱えており、本作は、現代世界・現代インドにおける人々の間の極端な断絶を背景とするリアリズム小説である一方、気候変動のまっさきに受ける土地でもあるシュンドルボンの生態系を正面から取り上げた「気候変動・生態系」小説のさきがけでもあると言えるでしょう。ゴーシュにしか書けない特異な小説であり、小説としても、ゴーシュ作品の中で最高の完成度を持つ作品です。
普段とは違う「海外文学」を読んでみたい方、アジア発の世界文学・インド系作家の小説世界に触れてみたい方、「文学と気候変動とのかかわり」とはどういうことだろうと引っかかった方、インド・ベンガル・シュンドルボンに興味のある方、文学作品の「翻訳」に興味のある方のご参加をお待ちしております。
また、三回とも、ゲスト講師をお招きして、20-30分ほど、各々の専門的視点から、本書の読みどころをたっぷり語っていただきます。
*本書は、2023年4月下旬に発刊を予定しています。ご登録いただきました皆様には、発刊次第順次訳者より送付させていただきます。
第1回講義:2023年05月13日(土):20:00 - 21:30
オリエンテーション
ゴーシュを含むインド系英語文学者の世界について、簡単にご紹介をします。また本作について、文学的・社会的・歴史的・言語的側面から、前提となる知識をお話します。あわせて「日本でゴーシュを読むということ」についても、深掘りして考えていきたいと思います。
また、多くの参加者にとってあまりなじみのない分野ですから、全体通して、参考になる関連書籍案内も多めに盛り込みたいと思います。
ゲスト講師:内田 力さん (東洋大学国際共生社会研究センター研究助手/東京大学農学部共同研究員)
ご専門:環境史、網野善彦研究、グローバルヒストリー、史学史)
第2回講義:2023年05月20日(土):20:00 - 21:30
本作第一部「引き潮」を講読します。
第一回の講義の終わりに、本作品の解釈上キーとなる箇所を第一部からいくつかピックアップして、皆様に「問いかけ」をさせていただきますので、その解釈を中心に、購読を進めていきたいと思います。
また、いくつか代表的な原文をピックアップして、その文体について考えてみたり、よりよい日本語訳を考えてみたり、ということもやってみたいと思います。
ゲスト講師:井沼 香保里さん (多摩美術大学 美術研究科 助教)
ご専門:英文学、近代社会における「超自然」的存在についての言説分析、アミタヴ・ゴーシュ『大いなる錯乱』訳者
第3回講義:2023年05月27日(土):20:00 - 21:30
第二部「満ち潮」を講読します。進め方は、第一部と同様のやり方で進めていきます。
ゲスト講師:久家 誠司さん (NPO法人れんげ国際ボランティア会事務局長)
ご専門:アジア各地で、長年難民支援を実施。インドでは、チベット難民の支援や飲料水・衛生プロジェクトをされています。
本作の日本語訳をした岩堀兼一郎です。
もともと大学・大学院時代は西アジアの近代史・地域研究をしていたのですが、その後、重工業の会社で東南アジアの発電所建設プロジェクトに従事したり、インドで日本政府円借款事業の監理を担当したり、アカデミックな世界とは異なる経験をしてきました。
アジアで生活している間にアジア発の文学作品を愛読するようになり、いろいろな想いとご縁が重なって、アミタヴ・ゴーシュ the Hungry Tideの翻訳を発表することになりました。
博学多才なゴーシュと比べては比較にもなりませんが、産・官・学のすべてを経験し、西アジアから東南アジア、中国、インドを様々な立場で放浪し、曲がりなりにも英語・ヒンディー語・ネパール語・インドネシア語・中国語・ペルシア語を学び・使ってきた自分だからこその「読み」があると思っています。
さて、日本で紹介されている「海外文学」なるものは、実際のところ、世界文学の極めて偏った一部を切り取った「氷山の一角」に過ぎません。スパイシーで(というのは紋切り型過ぎる売り文句ですが)美味しいメニューが沢山手付かずで残っています。今回の読書会を通して、まだ日本の読者が気付いていない美味しい作品の魅力をご紹介することができればと思います。