終了済み講義
ピーター・シンガー(1946-)という哲学者をご存じでしょうか。残念ながら国内では一般的にさほど知られていないようですが、シンガーは現存する最も影響力のある哲学者と言っても過言ではありません。2005年、アメリカの『タイム』誌によって「世界の最も影響力のある100人」の一人に選ばれているほどです。
シンガーの面白いところは自身が主に支持している功利主義という倫理学理論に即して、世の中の様々な現象・問題をクリアに分析してしまう点です。功利主義とは、「最大多数の最大幸福幸福」というモットーで象徴される倫理学説ですが、18世紀にJ. ベンサムによって提唱され、J. S. ミルといった後世の哲学者によって洗練されてきました。その現代バージョンがシンガーの功利主義です。
シンガーは、地球環境、動物解放、中絶、安楽死、飢餓救済といった現代的諸問題について、当時の人々の直観(常識)に反する主張をためらわず繰り返してきました。その主張は時にはちょっとした「事件」を引き起こしました(ドイツにおける「シンガー事件」)。しかし、自身の功利主義に裏打ちされたその主張は、人々の直観的反発を招いたものの、今や多くの人々に受け入れられ、支持されています。特に、性差別や人種差別が問題になっていた時代に、世界に先駆けてすでに種差別を批判した『動物の解放』が1975年に出版されたことを考えると、彼の隻眼は評価せざるをえません。今や、「動物は物と同じだ」と考える人はおそらく少数派でしょう。また、多くの化粧品会社において動物実験も廃止されつつありますし、人工肉も開発されています。実際にシンガーは世界を変えてしまったのです!「影響力のある哲学者」とは、眉唾ではありません。また、ここではあまり説明できませんが、シンガーは実践家、あるいは活動家としての側面が非常に強い点も、彼の特徴でしょう。
さて、今回の講義で扱うのは、シンガーの『実践の倫理(Practical Ethics)』というテキストです。この書はそのタイトルにある通り、倫理学の書です。入門書とも言えますが、中立的でバランスのよい入門書というよりは、様々なテーマに関するシンガー自身の見解を的確にまとめたものです。その意味では、「シンガー倫理学の入門書」と言ってよいでしょう。
今回の講義では、この書で論じられる様々なテーマの中でも、「生命倫理」と「環境倫理」に焦点を当てます(前回に本書を取り上げた際は「動物倫理」に焦点を当てました)。より具体的には、「中絶」「安楽死」「環境」をめぐる倫理的問題を扱っていきます。
なお、本テキストの読解はさほど難しくありません。それゆえ、本講義では、シンガーの主張内容を批判的に吟味し、(可能であれば受講者のみなさんと)議論していくこととします。シンガーと共に、あるいはシンガーを超えて考えていくことの「実践の倫理」を体験してみましょう。
※テキストについて
『実践の倫理[新版]』(山内友三郎・塚崎智監訳、昭和堂、1999年)をご用意ください。しかし、大変残念ながら『実践の倫理』は絶版状態ですので、中古品を手に入れていただく必要があります。Amazonやメルカリ、古本屋をご利用ください。また、町の図書館や、(アクセス可能であれば)大学図書館などで借りてきていただいても結構です(貸出期間にご注意ください)。私自身は、本書が絶版と聞いて絶句しました。
第1回講義:2023年05月28日(日):20:00 - 21:30
『実践の倫理』の第一章から第五章までのうち、今回メインで扱う第六章、第七章、第十章を理解する上で前提となるような議論をあらかじめまとめて紹介しておきます。具体的には、倫理とは何か、功利主義とは何か、平等とは何か、殺すことはなぜ不正なのか、といった問題に関するシンガーの解答を共有します。
私が前回担当した『実践の倫理』講義に参加された方は、復習として受講してください。他方、初めて『実践の倫理』講義に参加される方も、第五章までをあらかじめ読んでおく必要はありません(もちろん、可能であれば読んでみてください)。
第2回講義:2023年06月04日(日):20:00 - 21:30
講読箇所:「第六章 生命を奪う:胚と胎児」
本章では、胚や胎児の生命を奪うことの倫理的是非が議論されます。基本的に、みなさんは、無実の人の生命を奪うことは不正であると思われるでしょう。これは、端的に「殺人」なわけです。では、人間の胚や胎児の生命を奪うことはどうでしょう。これは一般に、「中絶」と呼ばれています。去年、アメリカ最高裁で中絶を違憲とする判決が出て、センセーションを巻き起こしました。また、仮に中絶が倫理的に許されるとしたら、乳児の生命を奪うことはどうでしょうか。胚や胎児、乳児、そして成人、さらには動物の生命の間に、重要な線引きは可能でしょうか。
第3回講義:2023年06月11日(日):20:00 - 21:30
講読箇所:「第七章 生命を奪う:人」後半
本章の後半は、反自発的安楽死の検討から始まります。シンガーはこの問題に対して、本人の同意がない状況で、本人を死に至らしめること(反自発的安楽死)は正当化されない、という結論に到達します。次に、「自発的・非自発的・反自発的」とは異なる安楽死の分類が導入されます。「積極的安楽死」と「消極的安楽死」です。積極的安楽死とは、致死薬を投与することで死に至らしめることであり、消極的安楽死とは、延命治療を差し控えることにより死ぬに任せることです。積極的安楽死と消極的安楽死は、道徳的に許されるのでしょうか。あるいは、これらの間では、異なる倫理的評価が下されるのでしょうか。
第4回講義:2023年06月18日(日):20:00 - 21:30
講読箇所:「第十章 環境」
科学技術の進歩は、人間を幸せにすると同時に、自然環境を容易に破壊することを可能にしました。では、この自然環境の破壊をストップさせる倫理学的な根拠は何でしょうか。美しい地球を残すべきという未来世代への責任でしょうか。それとも、自然環境はそれ自体で価値をもつからでしょうか。換言すれば、森林や川は、感覚をもたずとも生命をもつものとして、それ自体で尊重されるべきでしょうか。
第5回講義:2023年06月25日(日):20:00 - 21:30
講読箇所:「第十章 環境」
科学技術の進歩は、人間を幸せにすると同時に、自然環境を容易に破壊することを可能にしました。では、この自然環境の破壊をストップさせる倫理学的な根拠は何でしょうか。美しい地球を残すべきという未来世代への責任でしょうか。それとも、自然環境はそれ自体で価値をもつからでしょうか。換言すれば、森林や川は、感覚をもたずとも生命をもつものとして、それ自体で尊重されるべきでしょうか。
哲学は面白い!!!!私が胸を張って言いたいのはこれです。他方で、哲学は難しいし、意味がないと思われる方は少なくありません。確かに私もいつもこのように自問自答しています。ここでさしあたりこの「疑惑」に私なりに答えるならば、次のようになります。「簡単な学問なんか要らない。そもそも簡単な学問なんてありえないし、さらに簡単さはやりがいを削いでしまう。また、確かに哲学は利益を生み出すことはないが、そもそも目に見えて役立つような哲学は要らない。哲学はなにより、面白いという意味がある!!」この哲学の面白さを伝えたくてたまらない!!ぜひ講義でお会いしましょう!!