開講中の講義
この講義では、ハンナ・アーレントの代表的著作『人間の条件』を、5週間(全6回)という時間をかけて丁寧に読み解いていきます。
アーレントは生前のあるインタビューにおいて、自らのことを「哲学者」とは見なしていないと答えていました。しかし、この講義では『人間の条件』を、まぎれもなく第一級の「哲学者」によって書かれた、正真正銘の「哲学書」として読み進めていきたいと思います。
とはいえ、そう思ってこの書を読み始めると、少なからぬ読者が戸惑いを覚えることになるかもしれません。というのも、そこではデカルトやカントの著作のように抽象的な概念を用いての思弁が続いているわけでもなく、「哲学書」の一般的なイメージとは異なった議論が展開されているからです。
哲学者はしばしば、「〇〇とは何か?」という問いを立て、「〇〇」の「本質」や「本性」を明らかにすることによってその問いに答えようとします。ところが、この書において問われているのは、「人間の本性」についてなのではありません。したがって、「人間とは何か」という問いに答えることが目指されているわけでもありません。この書で問われているのは、あくまで「人間の条件」についてです。「人間の条件」とは、この世界で生きている人間の実際の有り様や、人間が置かれている現実的な状況のことを指します。
それは例えば、人間が「生命」として存在しているということであり、また、人間は「生まれてくる」ことによってこの世界に存在し、いつかは「死にゆく」存在であるということです。あるいは、人間が「地球=大地」のうえで生きているということや、人間が一人ではなく「複数」でこの世界に存在しているということなどです。
一見「哲学書」らしからぬ書である『人間の条件』ですが、全6回の講義を通じて、この書の「哲学書」としての真価を明らかにしていきます。
テキストについて
『人間の条件』には以下の2つの邦訳がありますが、どちらを用いても問題ありません。両邦訳では、いくつかの重要概念について異なる訳語が採用されていますが、その点についても講義内で解説する予定です。
ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年
ハンナ・アレント『人間の条件』牧野雅彦訳、講談社学術文庫、2023年
原書:Arendt, The Human Condition (1958), The University of Chicago Press, 1998.
第一回講義 (オンデマンド講義)
初回の講義では、アーレントの波乱に満ちた生涯を概観することを通して、彼女の仕事の全体像を俯瞰し、どのような問題意識のもとで『人間の条件』という書が成立したのかを明らかにします。つづいて、「プロローグ」と「第1章 人間の条件」を読み進め、本書の主要テーマである「労働」「仕事」「活動」といった概念の意味について概略的に理解していきます。
第二回講義 (オンデマンド講義)
「第2章 公的領域と私的領域」について解説します。この章では、「公」「私」「社会」という3つの領域に関する歴史的な説明がなされます。一般的な用語法に即せば、「社会」とは「公的」領域のことを意味していそうなものですが、両者がまったくの別物であることが明らかにされます。また、古代ギリシアの都市国家「ポリス」のあり方に関する詳細など、テキストでは説明されていない事柄についても補足的に説明をします。
第三回講義 (オンデマンド講義)
「第3章 労働」について解説します。この章では、マルクスの労働論に対する批判が念頭に置かれつつ、古代から近代にいたるまでの「労働」の位置付けの変遷と、そのことの意味について論じられています。私たちが日々あたり前のようにしている「労働」という営みに対する見方が変わるかもしれません。
第四回講義 (オンデマンド講義)
「第4章 仕事」について解説します。「仕事」とはモノを作ること、つまり「制作」です。ここでいうモノとは、日常的に使用する「道具」であったり、絵画などの「芸術作品」であったりするのですが、それらのモノによって「世界」は成立しているのだとアーレントは言います。このような大袈裟にも聞こえる主張の真意を読み解いていきます。
第五回講義 (オンデマンド講義)
「第5章 活動」について解説します。「活動」とは、主に言語による人と人との交流を意味します。したがって、「活動」が成立するには、この世界に複数の人間が存在するという事実、つまり「複数性」が前提にされなければなりません。アーレント哲学の要である「複数性」という概念の豊かな含意について、様々な角度から解説します。
第六回講義 (オンデマンド講義)
「第6章 活動的生と近代」について解説します。「近代」という時代が成立したことの意味について、大きなスケールで論じられている章です。「現代」に生きる私たちが内面化している世界観や価値観の多くが、「近代」において成立したものであることが明らかになるでしょう。それによって、私たちの「常識」が相対化される経験もすることになるかもしれません。
質問はいつでもDiscordに書き込み可能です。原則として毎週火曜日を講師からの回答日としますが、それ以外のタイミングでも随時お答えしていきます。
みなさん、こんにちは。齋藤宜之(さいとうよしゆき)と申します。私は、ハンナ・アーレントやイマヌエル・カントなどを中心に、近代・現代の哲学を研究しております。どうぞ宜しくお願いします。
「恋はするものではない、落ちるものである」という言葉がありますが、このことは「哲学」にも当てはまります。つまり人は、「さあ、今から自分は哲学をするぞ」という明確な意図をもって哲学を始めるのではなく、ある時、気が付いたらすでに哲学をしているという瞬間があるものなのです。それは例えば、子供心に「宇宙の果ての向こう側には何があるんだろう?」という疑問が心に浮かんだ瞬間であったり、追い求めていた地位や富をようやく手に入れたけれどもそれに虚しさを感じ、「人間にとって本当に大事なものは何なのだろう?」と考えた瞬間であったりします。とはいえ、そういった難題に徒手空拳で立ち向かっても、たいていの場合、勝ち目はありません。そこで古典的な哲学書の出番です。そこには、各人にとっての切実な問題に立ち向かうための武器となる道具がたくさん隠されているはずです。この講義を通じて、それぞれの方にとって役に立つ道具を、一つか二つお持ち帰りいただければと思っています。それでは、講義でお会いしましょう!