終了済み講義
17世紀哲学の書物を紐解いてみると、しばしば登場してくる哲学者の一人としてニコラ・マルブランシュ(1638–1715)という人物がいます。日本では十分に紹介されているとは言い難い哲学者ではありますが、「神の内に見る」や「機会原因論」という言葉に代表されるような彼人の独特な哲学は、当時からデカルトやスピノザ、ライプニッツの哲学にも劣らないインパクトを持っていました。さらにいえば、18世紀の啓蒙思想においてもその哲学の影響は強く残りつづけ、新たな時代の思想を導くものとしても働くことにもなりました。それは、宗教と形而上学の究極的な一致を目指す哲学であり、またデカルト主義を押し進めた理性の哲学ともいうことができるでしょう。
今回の講義では、マルブランシュ哲学のもっとも大きなテーマのひとつでもある「認識」ということにスポットを当てた新書『ものはなぜ見えるのか:マルブランシュの自然的判断理論』(木田直人著)を取り上げます。「私の見ている湯呑は存在しないのかもしれない。夢なのかもしれない」(3頁)という不安を、考えるだけ無駄だと切り捨てるのではなく、もし大真面目に考えようとするなら、私たちはどこから手を付けることができるのでしょうか。この講義ではマルブランシュの思索を通して、この問題に対するアプローチを探ることになります。
デカルト哲学を引き継ぎつつ、しかしスピノザやライプニッツとは大きく異なった哲学を打ち立てたマルブランシュ。「神」という伝統的な哲学の要素を自らの理論の核として引き受けつつも、「感覚」に存する「自然的判断」という契機を導入することによって、その理論は生命原理にも通ずるダイナミックなものへと進んでいくことになります。
マルブランシュの哲学と認識をめぐる議論を、ときに楽しみ、ときに当惑しながら(!?)、一緒に読み解いていきましょう。みなさんのご参加をお待ちしております。
※図書館利用のススメ
講義で扱う書籍『ものはなぜ見えるのか』は現在多くの書店で品切れとなっており、さらに古本でも値段が高騰してしまっています。それでも、あえてこうした書籍を選ぶのは、みなさんにぜひ図書館を利用して欲しいと考えているからです。世の中には無数の書籍が存在しており、その全てを自分のものとして所有することは普通の個人には無理なことです。でも実は、図書館を利用すれば、自分の持っていない様々な本にアクセスすることが可能なのです。この機会にぜひ図書館という知の泉を利用して本を読むことを検討してみてください。
「カーリル」というサイトで、お住まいの地域の図書館を横断検索することができます。
『ものはなぜ見えるのか:マルブランシュの自然的判断理論』を借りられる図書館を調べる
第1回講義:2022年07月11日(月):20:00 - 21:30
イントロダクションと問題意識の確認 講読範囲:第1章第1節(〜26頁) 最初の講義では、『ものはなぜ見えるのか』を読み進めるための準備作業を行います。マルブランシュが生きた17世紀という時代の紹介、さらに「ものはなぜ見えるのか?」という問いを考える上で前提となる問題意識を掴むために、デカルトやライプニッツの議論なども詳しく紹介する予定です。
第2回講義:2022年07月18日(月):20:00 - 21:30
「すべてのものを神の内に見る」とはいかなることなのか? 講読範囲:第1章第2節(〜59頁) マルブランシュの有名なテーゼである「神の内に見る」ということが、果たして何を意味しているのか、第2回の講義で確認していきましょう。この理論を通して、ものが見えることに関する一般的理論が明らかになります。
第3回講義:2022年07月25日(月):20:00 - 21:30
具体的な物体を認識するための条件を探る 講読範囲:第2章第1節から第2節(〜103頁) 第2回で確認したのは一般的な認識の理論でした。具体的な「湯呑」の認識に至るためにはこの一般的な議論では不十分です。第3回では、具体的認識に至るための準備として、物体の空間規定とはいかなるものであるのか、そして物体の形状の前提となる「延長そのもの」の内実について確認していきましょう。
第4回講義:2022年08月01日(月):20:00 - 21:30
自然的判断をめぐるダイナミックな転回 講読範囲:第2章第3節から終章(〜183頁) 具体的認識に至る最後の議論として「自然的判断」を扱います。この概念は、マルブランシュ自身の著作が版を重ねるなかで発展し、やがて生命原理へと接続されていくこととなります。最終回では、このダイナミックな運動を通して著者とともに「ものはなぜ見えるのか」という問いを考えていきましょう。
こんにちは。東京大学大学院で哲学を研究している三浦隼暉(みうらじゅんき)です。The Five Books での講義も二年目となりました。これまで、多くの参加者の方々と一緒にデカルトやスピノザ、ライプニッツの著作を読み進めてまいりました。
私が目指しているのは「哲学は留保なしに愉しい」と感じてもらえるような講義を作ることです。一緒に哲学書を紐解くことで、そのような愉しさを経験するお手伝いができればと考えています。最後に、私の恩師が残した言葉を送ります。「本は一人で読むものですが、ときには窓を開けて一緒に哲学をしましょう」。